虚脱感

一昨日、職場の先輩が亡くなった。まだ享年57歳でした。
昨晩の通夜、本日の葬儀共に参列をして最期のお別れをして来たばかりなので、当然ですが、まだ悲しみから抜け出せずに、何もする気が起こりません。
一昨年の11月から闘病に入られ、入退院を繰り返しながら、時々メールをしたり、調子の良い時などには職場に顔を出して下さる事もあったのですが、今年に入ってからはメールも一方通行になっていました。女性で主婦でもあったので、変に気を遣って見舞いを遠慮していたのですが、その方と同僚の女性が春頃に見舞いに行かれた時にはかないお痩せになっていたと聞きました。確かに、棺でのお顔を拝見した時には、闘病の壮絶さが伝わって来るほどでした。
職場の仲間は毎日のように昼間長時間顔を合わせているので、親兄弟よりも一緒にいる時間が長い場合があります。そういった意味では、親兄弟は別として親戚が亡くなる以上の悲しみがあるのだと思いました。
休職されている間、先輩が戻ってくるまで職場を守ろうという気持ちでがんばってきたのですが、辛い結果となってしまいました。長期療養に入られるということもあって、職場の身辺整理はある程度されていたようですが、ノートなどに残った先輩のを見ると、今は未だ胸が苦しくなるばかりです。
本当に良く働く方で、ご家庭でも殆どご自分の時間など無かったと思います。お子様も大きくなりいよいよこれからご自身のための時間を、という時だっただけに本当に気の毒でなりません。せめてものは、闘病後半は、病院ではなく、まだ可愛い盛りのお孫さんがいる娘さんの所で過ごせたことだと思います。


今まで職場で、ご自身の体調不良についてや愚痴など一切口にされなかったのに、珍しく胸が痛いと言われたあの日の痛みからやっと解放されましたね。これからはゆっくりとお休み頂き、またご自身の時間をお過ごし頂きたいと思います。私は、今しばらくこの悲しみから抜け出せそうにはありませんが、また一歩ずつ前へ進んで行くように致します。応援していてください。
−合掌−